東京~久里浜(乗車券分割)・京急のJR連絡券
旅についてはどうぞこちらへ:
1.鉄道各社の競争を味わえる(?)分割乗車券
分割前:
東京~久里浜:70.4km 1270円
分割後:
東京~新橋:1.9km 140円
新橋~久里浜:68.5km 940円
合計:1080円
差額:190円
だが考えてみると、60-70kmの東京特定電車区間運賃は1100円。なぜ50-60kmの940円を適用するのだろう。
やはり都営浅草線の通っていることから新橋駅から横須賀線への運賃に配慮を配ったなあ。因みに新橋~横須賀中央の京急+都営運賃は980円(974円)であるのに対して、JRは940円(935円)。ICカードを使っている乗客にとって39円の差がある。市街地までもうちょっと500メート歩けば39円も安くなれると、JR側の意識が感じたかそうに限らない。
2.京急のJR連絡券
割引なしの連絡乗車券。
特に変哲もないが、結構重要なポイントはJRとの接続駅である。
横浜からJR線に乗り換えると、切符で850円もする。
京浜間の爆速走行による急行感を味わえるし、30円(ICだと20円くらい)節約できるしいかかでしょうか。
(都営浅草線は論外、急ぐ場合以外ほとんど使っていない……)
三浦半島の小さな旅、終着駅の久里浜へ、そして横須賀
切符の話についてはこちらへ
5月28日、久々に東京湾がやや晴れていて、梅雨入り前の貴重な涼しい一日。
東京も緊急事態宣言が解除されて、そろそろ少し出かけようと思ったら、ちょうど友達がこれを機に三浦半島のところに行きたいと話していて、私もこの話の流れに乗っかって、厚かましいながら連れてとお願いし、数ヶ月ぶりに自宅から歩き出した。
いざ、出発!
「何か月ぶりだろう、東京駅は」と思いながら、ふっと東京駅に着いた。
目的地は明白だ、線路の果て、久里浜駅へ。
乗客がそもそも少なかったにもかかわらず、三密を避けるため、そしてハイデッカーの二階席を乗るため、自腹で2人分のグリーン代を払い、いつか廃車するかわからないE217のグリーン車に乗りました。ホーム上はスイカにしか対応しておらず、切符は残していなかった。
乗車時間は一時間半。くねくねの品鶴線を乗るのは初めてではないが、横浜から先の部分は初めてだ。戸塚駅の奇妙な構造と駅前を見て魅了されていながら、友達の話の内容に夢中になって写真が撮り忘れた。分かる人は分かるだろう、あの変則な駅前ビル群とか。
逗子過ぎた一気に市街地が見えなくなった。横須賀線の歴史を見たら市街地を通るはずがそもそもない。日清海戦を備えるための路線だからね。
海軍の鎮守府が置かれた軍港都市・横須賀、陸軍の東京湾要塞の沿岸砲台一つである観音崎砲台、敵軍の上陸想定地点[注 3]の一つである長井への輸送を目的として、陸海両軍の要請により建設された路線であり[3]、その発端である海軍大臣西郷従道と陸軍大臣大山巌の連名で総理大臣伊藤博文宛に横須賀線の建設を請議した1886年6月22日付の文書においては …… ——Wikipediaより
トンネル、そして田浦、またトンネル。11両の鋼の大蛇が揺れて、終着の久里浜に着きました。JRの久里浜駅はしょぽくて、駅前は駐車場とハトしかなかった。私鉄の通っている場所のJRの駅は大体こういう風景だなあと思いながら、海沿いのある公園へ足を運んだ。
ここで少し意外な会話:
友:「ここらへん大丈夫なの、ホームに警察いっぱいいたし」
僕:「警察だったら一人もいないし……」
友:「制服の……」
僕:「あれ多分JRの従業員……」
目的地はペリー上陸記念碑だった。
歴史が嫌いではないがあまり詳しくはなかった。ペリー来航の話ぐらいについては知らないでもない。だが恥ずかしながら、最初の上陸地はずっと下田だと思っていた。黒船も字面通りに黒いものだと思っていた。
記念碑としては結構大きいものだった。百年もするものにもかかわらず、字が鮮明に残されている。これを機に日本が開国したか、と思いながら公園の中でウロウロしていた。幕府とか明治とか、ここから始まった、か。
あいにく記念館は6月末まで休館で、行けなかった。公園の中で観光客はほぼ皆無で、僕ら2人が異常に目立った。
公園の中に人の姿がほとんど見られず、一見静かだったと思われがちだが、実際ベンチで世間話している年寄りもいったし、桟橋が隣でフェリーの音もしたし、通りかかったヘリコプターの爆音もしていた。黒くてやや四角いヘリだった。
フェリーと言えばやはり青函…と、思いが何故か北海道に行ってしまった。
時間は13時になった。少し腹も減ったから、市街地に行って飯食いに行こうかと思った。開国橋を後にして、静かな川沿いが目に入った。人のいない町に人のいない舟、そして人のいなさそうな自衛隊駐屯地…
やや京急久里浜駅に近づくと、活気な街が待っていた。商店街もあった。ここで寿司でも食べようか。駅メモの駅ノートに載っているメモラーたちが薦めたグルメ情報うを駆使して、寿司屋さんを一軒見つかりました。
適当に注文して、少しビールも飲んだ。だがやはり酒に弱いから店を出ていった途端にふらふらしていた。寿司は美味しかったが、茶碗蒸しが一番印象が残った。
酔いながら横須賀へ。多分1501分発の逗子行きだろうか忘れてしまった。ペリーの話を聞きお寿司食べながらなんと午後3時かとため息しながら電車が発車しました。
海軍さんの街、横須賀に到着した。案の定JR横須賀駅前は何もなく、海と軍艦が見える公園しかなかった。
まるで海を見せるため駅だった。天気も良し、風もよし。
右手は米軍基地だ。大きな音でなんらかを放送している。英語が不得意で、何も聞き取らなかった。人に聞いてみたら多分軍事演習をしていたみたいだった。
丸くて黒い潜水艦がそこに一つしかないと思ったら、実際ふたつもあったと驚いた。そういう変な見た目していたのはただの見間違いか(笑)。
JR横須賀駅を後にして、市街地へ進んだ。横須賀中央駅を目指して、快特を乗り帰ろうぜ。
適当に写真を貼って終わらせよう。
まだゆらゆらして一時間半、自宅に戻った。
これは、5月のある日の旅でした。
ブログを始めてみた
何故かよく分からないが、最近だんだんなにかを書こうと思い始めた。
5月の初旬からそういうアイディアが出てきて、ようやく初めての一歩を踏み出した。もしも続けるとしたら、今後はよろしく。
すごく表現欲があって見せたい!ということではなくて、思いや記憶を書き残したいからブログをやってみようかと、やろうと思った。簡単な自己紹介をしよう。令和2年現在、無職、学生で、(東京の)湾岸道路沿いに住んでいる。怪レい日本語の使い手である。
ブログ名の中の「虹の彼方」というのは意味がシンプルで、空港への道に虹のモニュメントがある、ただこれを指すだけだ。空で、繋いで。
今後アップする内容についてもちょっと考えてみた。
1.切符のコレクション
結構の量の切符を集めたから、そのまま印字が消えるまで待つのではなく、デジタル化して自分の物語として残したらいいなと、5月初旬に切符をファイルホルダーに整理した時考えてみた。
2.旅の思い出
年につれ記憶力の低下も懸念していて、やはり写真を文字とともに残していたほうが頭の中の記憶を呼び出せる。デジカメも持っていないし、写真も上手くないから、適当の写真をアップするかもしれない。ここ数年間日本全国あっちこっち回りまくった出会いや思い出をとにかく出来るだけここに残したいと思う
3、愚痴とか、妄想とか
湾岸の夜は神秘である。人の心の中の喜び、悲しみ、怒り、そして遥かなる虚無な思いを引き寄せられる。まだまだ現実社会に教育されないうちに、思いを東京湾の上空に飛ばせよ。
「主よ、人の望みの喜びよ」
4.趣味とか、計画とか、抱負とか
(もしもあれば)
正直あまりまともな趣味とか持っていなくて、退屈な学生生活を送っていた。新型コロナの影響で何かやることあるのではないかと考えながら、生活は変わらぬままである。
結構いっぱい計画とか書いていたが、実際に続けるかどうかも知らない。プレローグを書いたら永遠にアップデートしない可能性も高い。この後も続けるなら、もし見て下さる人がございましたら、感想、質問、コメントは大歓迎である。
書き続けること前提の話は結構した。今はちょうど学校の課題をする時間になって、押下圧が80cNもするメカニカルキーボードを一時間以上打ち続けいて疲れた、では、まだ。
(タイプライターを感じを味わいたい方は是非Cherry MX Greenを試してください——ご参考に:
[COMPUTEX]CM Storm限定“緑軸”,「Cherry MX Green」採用のゲーマー向けキーボードをCooler Masterが披露 - 4Gamer.net
今使用しているのはCooler Masterのキーボードではないが……)